館長からのメッセージ

水族館における環境教育

動物園では、動物の形をした餌を与えるのはよほど慎重でなければならない。すぐに「残酷だ」という苦情をいただく。無理に感情を逆なでする事もないので、すぐに陳謝して取りやめとなる。ライオンに生きたウサギを与えるのも、爬虫類に生きたネズミを与えるのもお客様の居ない休園日だ。

魚には、その感情は働きにくいから幾分楽である。水族館では水槽の前で、「このマグロはうまそうだな」の声をよく聞く。
時に、「水族館の人はいいな。魚を食べられて」も聞こえてくる。これはタブーである。実際、料理屋の生け簀と違い、水槽で長く飼育するとまずくなる。「それは食べなければ言えないことだ」とまで言われれば、「食べるのも学問の内だ」と答えることにしている。
魚のラベルに、料理法を書いたり、観た魚をレストランで提供するとなると、また別の苦情も出そうだ。「飼っている魚を、可哀想に」と。

喰う、喰われる関係は、自然界の摂理であり、環境学習の重要なテーマであるにもかかわらず、自己規制がある。
その感情的倫理的分析問題には踏み込まないことにして、このあたりを規制緩和することが動物園や水族館での環境学習であると思っている。

シマウマの死体に、いがみ合いながら顔を血で真っ赤にして食らいついているライオンの群。これはアフリカのサバンナの風景ではない。デンマークのコペンハーゲン動物園長アンダーソンによる「都市に野性を」という演題の発表であった。氏は当時世界動物園教育会議の代表でもあった。

野生動物は獲物を狩って食べているのだから、ありのままの生態を見せることは有効な環境教育である、としていささかのためらいもなかった。生きたものを襲わせる訳ではなく、動物園で安楽死させた個体を活用している。メデイアの評価も上々だったと、切り抜きを掲げて見せた。
こうしたイベントが発表演題になるのは、欧米でも意表をついた企画だったのであろう。

アクアマリンの潮目の海の大水槽では、魚の組み合わせは自然界に近いから、現実に、喰う喰われるの関係が成り立っている。水槽の前で、三十分もたたずめば、食物連鎖の実態を目の当たりにできる。
動物園や水族館ならではの環境学習は、
見て触れて、味わう五感に訴える体験型である。
いわきは水産の町である。水産物の味覚を紹介するのもアクアマリンの大切な役割だ。