館長からのメッセージ

私のアラビアンナイト(続編)

私は、上野動物園長を最後に東京都を退職し、2000年、福島県いわき市に開館したアクアマリンふくしまに赴任しました。 
この水族館のプロローグは生物進化、シーラカンスを主役にしました。
そもそもシーラカンスとは、1938年に南アフリカのイーストロンドン沖で初めて発見され、この仲間は恐竜の時代に絶滅したと信じられていましたから、The Greatest Fish Storyとして世界の生物学者を驚かせました。
シーラカンスは3億8千万年前、古生代デボン紀に魚類から陸上四肢動物へ進化していった魚、鰭に骨格のある肉鰭類の一員です。
アフリカのシーラカンスはその後、タンザニア、モザンビーク海峡に浮かぶコモロ諸島で数多く発見されました。
1998年、タンザニアから東に1万㎞、インドネシア、スラウエシ島で新種のシーラカンスが発見されたのにも驚かされました。
ある日、田井中さんから「安部さん、フランスのボルドーのワイナリーの門扉にシーラカンスが刻まれているんだって」という情報に接しました。
それは、日仏協会が招請したソルボンヌ大学長の話でした。
そこで、田井中さんとそのワイナリーを訪ねました。
ワイナリーの門柱はたしかに写真のようなシーラカンスらしい魚が彫り込まれていました。
それはタンザニアの沖合に浮かぶザンジバル島の世界遺産の石の街、ストーンタウンから持ち込まれた門扉であることが分かりました。
今度はタンザニアのダルエッサラーム空港で田井中さんと待ち合わせをしました。
ザンジバルは中世から近世を通じてアラビア商人の交易の拠点でした。

当時の市内のスーク 当時の市内のスーク

門扉は、20世紀初頭までザンジバルを統治していたオマーン王国のスルタン邸のものらしいと、ダルエッサラームの博物館長の解説でした。
つまり、シーラカンスは東アフリカでは1938年の発見以前から知られていた魚だったのです。
斜めに伸びたブームに帆をはらませ、ダウ船は音もなくインド洋をすべっていました。
そこにはシェラザードの話す千夜一夜物語の風景がありました。

ザンジバルのダウ船 ザンジバルのダウ船

インドネシアでは、スラウエシ島のマナドでシーラカンスを追跡してきました。
2009年には東に1500㎞、パプアのビアク島に調査海域を拡大しました。
大東亜戦争ではビアク島飛行場守備隊と連合軍の熾烈な闘いのあった地です。
今度はジャカルタ空港で田井中さんと待ち合わせしました。
ビアク島では戦闘機や沈没船の残骸が累々と横たわる海の、海底190mの岩礁にシーラカンスを発見しました。
ビアク島の第二次世界大戦慰霊碑にお線香をあげて英霊の冥福を祈りました。 ザンジバル、コモロといい、インドネシアといいマホメットが布教を目指した地域の縁辺にシーラカンスが生息することは偶然ではなく思えてきました。
シーラカンスはサンゴ礁の生物多様性保全のアイコンとして生物多様性のシンボルとして、平和のシンボルとして保全されなければなりません。
さて、我々フェリーン(不信心者)だとしても、スエズ運河、石油資源、文化財など過去の紛争に手を染めていない強みがあります。
日本の様々な技術、医療、環境、文化財保全、水族館技術などを通じた手助けが可能です。
民族主義でない精神運動イスラム共同体、ムスリムを目指したかつてのアラブの栄光と誇りを取り戻して欲しいと願っています。